グラナディージャ Granadilla

エクストレマドゥーラ州カセレス県

中世には「グラナダ」と呼ばれていた村。アルアンダルス(イスラム教勢力下)では北のキリスト教勢力からの圧力に耐え、レコンキスタの過程ではレオン、カスティージャ、ポルトガルの国境となり、各時代に重要な役割を与えられていました。城壁は古く、9世紀ごろに建設され、時代ごとに改築・増築されて現在に至ります。お城は、16世紀に1代目アルバ公爵が古い城塞跡に建てたもの。イタリア建築の影響が見られるスマートなお城です。20世紀中ごろ、ダム建設により廃村に。水没は免れ、美しく修復されてはいるものの、帰りたくても帰れない人々がいるというのは、やはり悲しい…。(上の写真は、ダム湖を背景にしたお城)

元祖グラナダ!! 

中世、この村は「グラナダ」と呼ばれていました。8世紀から12世紀前半はイスラム教勢力下で、12世紀から13世紀初頭は、レオン王国、カスティージャ王国、ポルトガル王国の国境近くで、時代ごとに重要な役割を与えられていました。その後、レコンキスタが進み、カスティージャとレオンの国境が消滅するとともに、グラナディージャの軍事的重要性は低下しますが、それでも、この地方の中心的な村となっていました。1492年にカトリック両王を前に、ナスル朝のグラナダが陥落しカスティージャ領となると、こちらの「グラナダ」は「グラナディージャ」(Granada+指小辞のillaで、小グラナダ)に。ただし、公的な文書に「グラナディージャ」として現れるのはずいぶん後になってからのことです。

レオン王国VSカスティージャ王国

1157年、レオン王国とカスティージャ王国が分裂すると(この経緯はティエドラ城で)、グレドス山脈以南の境界線はほぼ銀の道(Via de la Plata )に沿って決められました。1160年、レオン王フェルナンド2世がイスラム教勢力下にあったグラナディージャを征服。再植民をし、城壁を建設し、1170年に「Villa」の称号を与えました。1191年、フェルナンド2世を継いだアルフォンソ9世がサンティアゴ騎士団に寄進(同じころ、アルフォンソ9世はポンフェラーダをテンプル騎士団に寄進しています)。この時、グラナディージャを中心にいくつもの領地がサンティアゴ騎士団に与えらえました。再植民を活性化するため、あるいは、ムワッヒド朝やポルトガル、カスティージャの脅威に備えるため、などの理由が考えらえます。

グラナディージャはだれの手に…

その後、再び王領となったグラナディージャは、1282年にカスティージャ王アルフォンソ10世が、息子のペドロ親王に与えますが、ペドロ親王の死後グラナディージャを継いだサンチョが子どもがないまま死去すると、再び王領(フェルナンド4世)に。次は、アルフォンソ11世が子のサンチョ・デ・カルバハルに与え(ポルトガル王ペドロ1世とイネス・デ・カストロの娘ベアトリスと結婚)、その娘レオノールがアラゴン王フェルナンド1世(カスティージャの王族、フェルナンド・デ・アンテケーラ)と結婚したため、その子エンリケの手に渡りました。アラゴン王フェルナンド1世の死後、カスティージャ王国に戻った子どもたちは、フアン2世と対立し、失脚。結局、フアン2世はエンリケから所領を接収し、グラナディージャは1446年に、アルバレス・デ・トレド家(アルバ公爵家)に与えられました。以降、18世紀まで、アルバ公爵家の所領でした。

アルバ公爵家の城

グラナディージャの城を建設したのは、1代目アルバ公爵ガルシア・アルバレス・デ・トレド・イ・カリージョ・デ・トレド。1473年から78年のことです。このお城がある場所には、イスラム教勢力下ですでに城塞が建設されていたものと考えられています。細い正方形の塔の各面に、壁から張り出すように半円の塔が配されています。上から見ると4枚の花弁がある花のような形で、イタリア建築の影響が見られるスマートなお城。螺旋階段を登って屋上に出ると、そこはダム湖と村を一望する素晴らしい展望台です。地下には牢獄と貯水槽も造られていました。

村から城への入り口

他方、村を囲む城壁の起源は9世紀ごろと考えられています。その後、様々な改築や修復を経て現在に至ります。

村を囲む城壁
廃村

1955年、フランコ政権下でたくさん建設されたダムのひとつ、ガブリエル・イ・ガラン・ダム建設のため、グラナディージャの村は国に接収され、人々は移住を余儀なくされました。しかし、グラナディージャは高地にあるため、ダム建設により水没したことは未だかつてないどころか、もともと水没する予定もなかったそうです。

1980年には村ごと文化財として指定されると、お城や城壁などが修復され観光地として生まれ変わりました。夏になると様々なイベントが開催されています。かつての住民の中には村への帰還を訴え続ける人々もいますが、許可が下りないのが現状です。村の中心部は家々が修復され、窓には花が飾られ、とても美しいのですが、生活感が感じられないからなのか、突然、人々が消えていなくなってしまったような、不思議な雰囲気でした。

1950年代までは人々が住んでいた村
おすすめルート

グラナディージャ

  ↓42km

プラセンシア(Plasencia)新旧ふたつのカテドラル、町を囲む城壁、水道橋、宮殿…見どころ満載。また、プラセンシアからマドリード方面に向かうラ・ベラ地方(Valle de la Vera)、アビラ方面に向かうヘルテ地方(Valle de Jerte)、サラマンカ方面に向かうアンブロース地方(Valle de Ambroz)はそれぞれにちがった魅力があって、どれもおすすめ。このうちグラナディージャから近いのはアンブロース地方のエルバス(Hervas)。栗の産地です。

  ↓47km

コリア(Coria)一代目アルバ公爵がグラナディージャと同じ時期に造ったお城があります。このコリアのお城の建設に携わったフアン・カレラが、グラナディージャの築城にも携わっていたと考えられます(個人所有のため、内部の見学は不可)。ローマ時代の城壁、カテドラル…こちらも見どころ沢山の美しい村です。

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エクストレマドゥーラ州 カセレス県 アルアンダルス 中世前期 中世後期 アルバ公爵

ゴルマス Gormaz

カスティージャ・イ・レオン州ソリア県

丘の上に建つ巨大な要塞。見どころは何と言っても、城壁の南面に開く2重の大馬蹄形アーチです。城からの眺めも圧巻。カスティージャの大地をはるか彼方まで見渡せる。この城の存在意義がよくわかる眺めです。

ゴルマス城 Fortaleza de Gormaz

965-66年、コルドバ後ウマイヤ朝のアルハカム2世によりこの地方に派遣されていた「ガーリブ将軍」(スペイン語の文献に現れる呼称。後ウマイヤ朝の3人のカリフ―アブデラマンIII、アルハカムII 、ヒシャムII―に仕えた軍人)により建設(あるいは再建)が命じられたと伝えられており、近くの教会から建設年や当時のカリフ、アルハカム2世の名を刻んだ礎石が発見されたことからも、この時期に建設されたのは確かなようです。ちょうど、コルドバに都を置いた後ウマイヤ朝が繁栄を極めていたころ。近くを流れるドゥエロ川が南のアルアンダルス(イスラム教勢力圏)と北のキリスト教勢力圏を分ける境界線となっており、ゴルマスから80km南にあるメディナセリが、後ウマイヤ朝の辺境防衛最重要拠点でした。彼らはゴルマスに、北方のキリスト教勢力ににらみを利かせるための前線基地的な役割を担わせたかったのでしょう。軍事的にも行政的にも重要な城だったことをうかがわせる、威厳を感じさせる城です。

当時のこの地域は両勢力の進軍が絶えず、ゴルマス城も両者の間を行き来していました。実際に975年にはレオン・ナバラのキリスト教王国連合軍が城を包囲するも、ガーリブ軍がこれを撃破。しかし、3年後にはキリスト教軍が奪い返し、その後アルマンソール*が奪回…

完全にカスティージャ王国領になったのは、初代王フェルナンド1世が現在のグアダラハラまでを征服した11世紀後半のこと。1087年には、アルフォンソ6世がエル・シド*にゴルマスを与え、エル・シドの死後は再び王領になっています。しかし、14世紀の内戦を経て、他の多くの城と同様、ゴルマスもカスティージャ王家を離れて貴族の所領に。1395年、エンリケ3世によりメンドサ家(参照:マンサナレス・エル・レアル)に与えられました。

城塞の全体像(北側)

小高い丘の頂上に地形に合わせて建設された城は、とにかく大きい!高さ10m以上、周囲1,000mを超える城壁に囲まれ、城壁から突き出た28の塔が並んでいます。

城壁に囲まれた西側の広大な部分は軍隊が集い、戦争に必要な軍馬や武器などが保管されていた場所。現在、城壁の中は草が生え石が転がる更地ですが、何といっても、目玉は南の壁面に開いた美しい2重の大馬蹄形アーチ!! アルハンブラの裁きの門を思わせる堂々たる馬蹄形アーチがこんなに北で見られるなんて!

東端はアルカサル。城の心臓部分です。こちらは城の内壁も多少は遺っており、主塔、10万リットルの容量がある貯水槽など、往時の間取りを想像することもできます。また、この部分には14世紀の改築の跡も遺っており、この時に、アルカサルの西側に堀が掘られ、この部分の城壁が高く改築され、城内西側の広場からアルカサルへの入り口となっている塔(トラスタマラ塔)が建設されました。少数で防衛できるよう、城の一部分の防衛を強化したものと推測されます。

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