カスティージャ・イ・レオン州バジャドリード県
どっしりとした塔を城壁が取り囲む、カスティージャ地方によくあるタイプのお城です。お城の起源はおそらく12世紀。イベリア半島の北部でレオン王国、カスティージャ王国、アラゴン王国が覇権を争っていた時代です。

12世紀 ―レオン王国 VS カスティージャ王国
711年にイベリア半島に上陸したイスラム教勢力を、半島北部コバドンガで退けたドン・ペラヨが築いたとされるアストゥリアス王国の系譜を継いだのがレオン王国。レオン王国の辺境で生まれたカスティージャ伯領から誕生したのがカスティージャ王国。11世紀、カスティージャ王国初代王フェルナンド1世がレオン王ベルムード3世から王位を奪い(1037年)、レオン―カスティージャ同君連合王国が誕生します。しかし、1065年フェルナンド1世が没すると、カスティージャを長男のサンチョ2世、レオンを次男のアルフォンソ6世がそれぞれ相続したため連合王国は分裂。サンチョ2世は兄弟たちから力づくで王位を奪い半島北部の再統一を目指すも、1072年サモラで暗殺されてしまいます。すると、弟のレオン王アルフォンソ6世がカスティージャ王位を継承し、再びレオン-カスティージャ同君連合が成立。アルフォンソ6世の孫アルフォンソ7世の死後(1157年)に再び分裂しますが、アルフォンソ7世の孫レオン王アルフォンソ9世の死後、その子ですでにカスティージャ王位を継いでいたフェルナンド3世(母はカスティージャ王アルフォンソ8世の娘ベレンゲーラ)が1230年レオン王位も継承し(ベナベンテ協定)、以降、両国が分裂することはありませんでした。

ティエドラ城 Castillo de Tiedra
ティエドラの城が文献に現れるのは、11世紀。カスティージャ王サンチョ2世の時代(在位1065-1072)。父であるカスティージャ王フェルナンド1世から王位を継いだサンチョが、サモラの所領を巡って姉ウラカと交わした文書が遺っており、その中に、ティエドラの城も出てくるのだそうです。12世紀、アルフォンソ7世の死後再びレオン―カスティージャが分裂すると、ティエドラはレオン王フェルナンド2世(在位: 1157-1188)が相続。このころ、ティエラ・デ・カンポスと呼ばれるこの地方は、しばしば両王国の戦闘の場となりました。フェルナンド2世を継いだアルフォンソ9世(在位: 1188-1230) は、カスティージャ王国との闘いのなか、和睦のためにカスティージャ王アルフォンソ8世の娘ベレンゲーラと結婚しますが、教皇の許可を得られずに離婚。その賠償としてティエドラの城を彼女に与えました。

の石落とし


ここから、城の持ち主が変わる経緯ですが、長いうえややこしいので飛ばしてくださって構いません。
13世紀、アルフォンソ10世を継いだサンチョ4世は、1285年、側近(Mayordomo mayo)ペドロ・アルバレスにティエドラを与えました。その娘テレサは、サンチョ4世の妻マリア・デ・モリーナの兄で、メネセス(パレンシア)の領主だったアルフォンソ・テジェス・デ・モリーナと結婚しており、こうしてティエドラはメネセス家の所領に。
その後、アルフォンソの孫アルフォンソ・テジェス・デ・メネセスが若くして亡くなったため、ティエドラをはじめ所領は妹のイサベル・テジェスが相続。彼女はアルブルケルケ領主フアン・アルフォンソ・デ・アルブルケルケと結婚していました。フアン・アルフォンソはカスティージャ王ペドロ1世(残酷王/在位: 1350-1369)の側近でしたが、エンリケ2世との王位をめぐる内戦の最中、敵側に通じたために(おそらく)ペドロ1世の命により毒殺されてしまいました。ティエドラは内戦に勝利し王位に就いたエンリケ2世(在位: 1369-1379) の手に。彼はティエドラをはじめ所領を弟のサンチョに与え、アルブルケルケ伯爵位を授けました。
初代アルブルケルケ伯爵サンチョの娘、レオノールは後にアラゴン王位を継ぐフェルナンド・デ・アンテケーラ(アラゴン王在位 1412-1416)と結婚。ティエドラはその子どもたち「アラゴンの親王たち」の手に。後にフアン2世(在位: 1406-1454)が彼らからティエドラを接収し、ヒロン家に与えました。
…すみません。長くなってしまいました。
ティエドラ城の建設は12世紀?
ティエドラ城で最も古い部分は、城壁の北面と東面。12世紀、レオンとカスティージャが覇権を争っていたころに、ティエドラの村を囲む市壁が建設され、この部分はその一部であったと考えられています。ティエドラ城の前身は、村全体を防衛するために、市壁の内部にありました。
塔が建設された時期については異論がありますが、13世紀から14世紀初め、メネセス家により建設されたと考えられてきました。ただし、切石が周囲の城に比べて小さいことや、入り口のアーチが他の城には見られないものであることなどから、古い城壁とほぼ同じ時期、1200年ごろの建設とする意見もあります。11mx9mのほぼ正方形の塔は、高さ28m。地上部分は3層に分かれており、さらに地下階もあります(地下は見学不可)。
そして、14世紀に、現在の城壁の南面と西面が建設され、塔は村から隔離されました。こうして、市壁内にあった城を村から隔離して独立した城とすることは、13世紀末から14世紀にかけて、貴族の所領が多くなっていく中でよく行われていたのだそうです。

2004年にティエドラ村が城を買い取り、修復を経て公開されています。
おすすめルート

塔の上から南に見えるお城はビジャロンソ城。そして、ここまで来たら、もうひとつ必見があります。近くのサン・セブリアン・デ・マソテにあるサン・シプリシオ教会は、馬蹄形アーチが連なる美しいモサラベ*の教会です(左の写真)。
バジャドリードから→20km→バンバのモサラベ教会→24km→サン・セブリアン・デ・マソテのモサラベ教会→9km→ロマネスクの香部屋Sacristiaが遺るシトー会の修道院、サンタ・エスピーナ修道院→10km→城壁に囲まれた村ウルエニャ→14km→ティエドラ城→9km→ビジャロンソ城→33km→トルデシージャス
1日でモサラベの教会と中世のお城を満喫💓。
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