カスティージャ・ラ・マンチャ州シウダ・レアル県
カラトラバ騎士団の要塞修道院。1212年のナバス・デ・トロサの戦いの直後に建設されました。要塞の壮大さもさることながら、教会のファサードを彩る赤い火山岩のバラ窓が圧巻!

カラトラバとは
シウダ・レアルの近く、カリオン・デ・カラトラバ村から北に5kmほど行くと、カラトラバ・ラ・ビエハ(旧カラトラバ)という要塞都市の跡があります。史料に初めて現れるのは8世紀の終わり、イスラム勢力がイベリア半島に上陸してからほどなくして建設されたようです。カラトラバの語源はアラビア語の「カルアト・ラバーフ」。「カルアト」はスペインの地名によく出てくる「アルカラ(=アル・カルアト)」の語源にもなっており、要塞、お城の意味。「カルアト・ラバーフ」はラバーフ要塞といったところでしょうか。ラバーフは人名から来た呼称と考えられています。つまり、異教徒と戦うためにできた騎士団の名称が、その異教徒の言語を起源に持っていた、というわけです。
カラトラバ騎士団の誕生
1085年、カスティージャ王アルフォンソ6世がトレドを征服すると、旧カラトラバをはじめこの地方の要塞はカスティージャ王国が支配。しかし、すぐにモロッコから上陸したムラービト朝に再征服されてしまいます。12世紀半ば、アルフォンソ7世がこの地方を再び占領。1150年、旧カラトラバ防衛のために、王はこの要塞をテンプル騎士団に与えました。ところが、イスラム勢力の脅威は衰えるどころか増すばかり。またもやモロッコから上陸したムワッヒド軍の勢いを前に、旧カラトラバの防衛は不可能と考えたテンプル騎士団は、これをアルフォンソ7世を継いだサンチョ3世に返還しました。
旧カラトラバを失うと、トレドが危険にさらされることになります。サンチョ3世は、旧カラトラバを守る気概のある者にこの要塞を与えることを決め、貴族たちを集め希望者を募りました。ここで手を挙げたのが、シトー会に属するサンタ・マリア・デ・フィテロ修道院(ナバラ)の修道長ライムンドとディエゴ・ベラスケスという名の修道僧でした。
ライムンドとベラスケスは、サンチョ3世から旧カラトラバをもらい受け、大勢のシトー会修道士を伴って、旧カラトラバへ。その数、2万人ともいわれます。この大軍の勢いのおかげで、当面は旧カラトラバを死守。しかし、ディエゴ・ベラスケスが死去すると、修道士と騎士からなるグループは求心力を失い、修道士たちはシルエロスの修道院へと去っていきました。後に残った騎士たちは、1164年、初代総長にガルシアなる人物を選出し、こうして、カラトラバ騎士団が誕生。
ところが、1195年、ムワッヒド軍はアルフォンソ8世のカスティージャ軍をアラルコスで破ると、その勢いで旧カラトラバも占拠してしまいます。カラトラバの騎士たちは、サルバティエラ(カラトラバ・ラ・ヌエバのすぐ近く。お城からも見えます)を占拠してここに拠点を置き、しばらくは「サルバティエラ騎士団」と名乗っていました。イスラム勢力支配地で孤軍奮闘していたキリスト教徒の牙城サルバティエラですが、1211年、51日間の包囲戦の末ムワッヒド軍に降伏。翌年のナバス・デ・トロサ以降も、サルバティエラはしばらくイスラム教勢力下にありました。カスティージャ軍による再征服は1213から1215年のこと。


カラトラバ・ラ・ヌエバの要塞修道院
現在、カラトラバ・ラ・ヌエバと呼ばれる場所には、その前にドゥエニャス城という要塞があり、それはヒロン家の所領でした。1197年、ロドリゴ・グティエレス・ヒロンが、その半分をカラトラバ騎士団に寄進し、のちに、彼らの子供たちが残る半分を騎士団に売却。1201年にアルフォンソ8世が、カラトラバ・ラ・ヌエバに対する騎士団の権利を承認し、この地はカラトラバ騎士団の所領となった。という説が有力ですが…ロドリゴがドゥエニャス城をカラトラバ騎士団に寄進したことは確からしいのですが、そのドゥエニャス城が現在のカラトラバ・ラ・ヌエバにあったのかどうか、には異論があるようです。
1212年、有名なナバス・デ・トロサの戦いでキリスト教諸国の連合軍がムワッヒド軍に勝ち、以降、シエラ・モレナ以北のキリスト教勢力の覇権が確立します。現在のカラトラバ・ラ・ヌエバの要塞―修道院は、この戦いの直後、2013年から建設が始まったものと考えられています。建設作業には、ナバスで捕らえられたイスラム教兵士たちが使われたとのこと。


二重、場所によっては三重の城壁に囲まれた広大な敷地には、中央のひときわ高い場所にお城、その隣りの一段低いところに教会や回廊を含む修道院、お城の周りに粉引場や台所など生活施設、少し離れて宿泊施設があり、まさに要塞修道院という様相。また、城塞に囲まれた広大な敷地には、家や通りのある村のような場所があり、そこに騎士や修道僧たちが住んでいました。ただし、その後すぐに、アルマグロ(Almagro)に騎士団長の館が置かれ、騎士団全体の政務はこちらで行われていました。
お城は狭い空間に塔が並び、塔の中のレコド(かぎ状に曲がった通路)や階段を通りながら、4階建ての屋上まで登ることができます。

教会はロマネスクからゴシックの過渡期の建設。ファサードには、まるでお城の小塔のようなバットレス(控え壁)に挟まれて、入り口の上に赤い火山岩で造られた大きなバラ窓があります。これは15世紀末から16世紀初頭のもの。1755年のリスボン地震の際に残念ながらステンドグラスは割れてしまいましたが、この地震で教会本体が倒壊しなかったのは、火山岩が使われていたため、とのこと。
とはいえ、この地震の被害は大きく、さらに19世紀には教会財産の没収政策の影響もあり、カラトラバ・ラ・ヌエバは放棄されていきました。


ちなみに…
1476年、ローマ教皇の勅書によりカトリック王フェルナンドが、スペインに本拠を置く騎士団の総長に任命され、以来、現在に至るまで、スペインの騎士団(カラトラバ、アルカンタラ、サンティアゴ、モンテサ)の総長はスペイン国王です。16世紀、フェリペ2世は、イサベル・デ・ヴァロアとの結婚後、新婚旅行にこのカラトラバ・ラ・ヌエバを選び、これを機に、要塞への入口へと至る道が整備されました。

おすすめルート
シウダ・レアル(Ciudad Real)
↓17km
カラトラバ・ラ・ビエハ(Calatrava la vieja)かつての要塞都市から遺っているのは城塞の一部のみですが。
↓62km(約1時間)
カタトラバ・ラ・ヌエバ
↓33km
アルマグロ(Almagro)13世紀からカラトラバ騎士団の総長が住む館がありました。現在の建物はつい最近まで増改築が重ねられてきましたが、ムデハル様式の影響がみられるパティオには、アラブやゴート時代の建築素材も使われているとのこと。現在は演劇博物館となっています。また、アルマグロは17世紀の劇場(Corral de las comedias)でも有名。毎年、演劇祭が開催されています。
WEB
- Castillo de Calatrava la Nueva
- Real Academia de la Historia <García>
- Real Academia de la Historia <San Raimundo de Fitero>
- “CALATRAVA la NUEVA no es el CASTILLO de DUEÑAS” José Acedo Sánchez
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