モントゥエンガ・デ・ソリア Montuenga de Soria

カスティージャ・イ・レオン州ソリア県

マドリードからサラゴサへ向かう途中、カスティージャとアラゴンの境界、ハロン川流域に建つお城。赤みの強い石の色が印象的です。塔には上から下まで大きな亀裂が走り、今にも真っ二つに割れてしまいそう。

パディージャ家の城?

「パディージャ家の城」とも呼ばれているので、カスティージャの貴族パディージャ家のものであったと思われますが、いつだれが築城したのか…(手持ちの資料では分からず。調べがついたら更新します)。

海抜約900m。村から見上げる岩山の頂上に、その細長い地形を利用して、マンポステリア工法と、角に切り石積みを組み合わせて建設されています。城の両端に塔があり、この二つの塔をつなぐように、城壁が築かれていました。現在はどれも部分的にのこっているだけですが。

カスティージャとアラゴンの間で

ハロン川流域は半島中央からサラゴサへと向かう、交通の要所となるとともに、カスティージャ王国とアラゴン王国の国境を形成し、しばしば両王国の戦いの場となっていました。メディナセリ(Medinaceli)から、モントゥエンガ、ソマエン(Somaén)、アルコス・デ・ハロン(Arcos de Jalón)、マンテアグード・デ・ラス・ビカリアス(Monteagudo de Vicarias)、ラ・ラジャ(La Raya)と、比較的小さな間隔で城や塔が建っているのはこのためです。特にラ・ラジャは、常にカスティージャとアラゴンの境界だったため、争いが絶えなかった一方、ラ・ラジャのお城の麓にある小さな教会(Ermita de Nuestra Sra. de la Torre)はちょうど国境線上にあったため、この教会で洗礼を受けた者は、カスティージャとアラゴンの両者のフエロ(特別法)が適用されたのだとか。

お城の将来

現在は、個人所有です。浸食の激しい土台となっている岩山と、今にも崩れ落ちそうだった塔や城壁は補強され、今後、この場所に住居を建設する計画とのこと。この計画は、お城の保存と景観の維持のため、カスティージャ・イ・レオン州が監督しているそうです。

元のお城から半分以上は失われてしまっていますが、高台に建つ城のシルエットはとてもカッコいいうえ、塔に縦に走る亀裂が強烈で、妙に惹かれるお城です。もうずいぶん前に立ち寄ったのですが、きれいに修復されて博物館になっているお城よりもはるかに記憶に残っています。今後、どのような姿になるのか、興味深いとともに、少々怖い…とはいえ、あのままではいつか塔は崩れ、跡すらなくなってしまいますね。それはそれで、詩的でいいんじゃないか…と、思わないでもないのですが。

WEB

ゴルマス Gormaz

カスティージャ・イ・レオン州ソリア県

丘の上に建つ巨大な要塞。見どころは何と言っても、城壁の南面に開く2重の大馬蹄形アーチです。城からの眺めも圧巻。カスティージャの大地をはるか彼方まで見渡せる。この城の存在意義がよくわかる眺めです。

ゴルマス城 Fortaleza de Gormaz

965-66年、コルドバ後ウマイヤ朝のアルハカム2世によりこの地方に派遣されていた「ガーリブ将軍」(スペイン語の文献に現れる呼称。後ウマイヤ朝の3人のカリフ―アブデラマンIII、アルハカムII 、ヒシャムII―に仕えた軍人)により建設(あるいは再建)が命じられたと伝えられており、近くの教会から建設年や当時のカリフ、アルハカム2世の名を刻んだ礎石が発見されたことからも、この時期に建設されたのは確かなようです。ちょうど、コルドバに都を置いた後ウマイヤ朝が繁栄を極めていたころ。近くを流れるドゥエロ川が南のアルアンダルス(イスラム教勢力圏)と北のキリスト教勢力圏を分ける境界線となっており、ゴルマスから80km南にあるメディナセリが、後ウマイヤ朝の辺境防衛最重要拠点でした。彼らはゴルマスに、北方のキリスト教勢力ににらみを利かせるための前線基地的な役割を担わせたかったのでしょう。軍事的にも行政的にも重要な城だったことをうかがわせる、威厳を感じさせる城です。

当時のこの地域は両勢力の進軍が絶えず、ゴルマス城も両者の間を行き来していました。実際に975年にはレオン・ナバラのキリスト教王国連合軍が城を包囲するも、ガーリブ軍がこれを撃破。しかし、3年後にはキリスト教軍が奪い返し、その後アルマンソール*が奪回…

完全にカスティージャ王国領になったのは、初代王フェルナンド1世が現在のグアダラハラまでを征服した11世紀後半のこと。1087年には、アルフォンソ6世がエル・シド*にゴルマスを与え、エル・シドの死後は再び王領になっています。しかし、14世紀の内戦を経て、他の多くの城と同様、ゴルマスもカスティージャ王家を離れて貴族の所領に。1395年、エンリケ3世によりメンドサ家(参照:マンサナレス・エル・レアル)に与えられました。

城塞の全体像(北側)

小高い丘の頂上に地形に合わせて建設された城は、とにかく大きい!高さ10m以上、周囲1,000mを超える城壁に囲まれ、城壁から突き出た28の塔が並んでいます。

城壁に囲まれた西側の広大な部分は軍隊が集い、戦争に必要な軍馬や武器などが保管されていた場所。現在、城壁の中は草が生え石が転がる更地ですが、何といっても、目玉は南の壁面に開いた美しい2重の大馬蹄形アーチ!! アルハンブラの裁きの門を思わせる堂々たる馬蹄形アーチがこんなに北で見られるなんて!

東端はアルカサル。城の心臓部分です。こちらは城の内壁も多少は遺っており、主塔、10万リットルの容量がある貯水槽など、往時の間取りを想像することもできます。また、この部分には14世紀の改築の跡も遺っており、この時に、アルカサルの西側に堀が掘られ、この部分の城壁が高く改築され、城内西側の広場からアルカサルへの入り口となっている塔(トラスタマラ塔)が建設されました。少数で防衛できるよう、城の一部分の防衛を強化したものと推測されます。

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