ビジャロンソ Villalonso

カスティージャ・イ・レオン州サモラ県

15世紀後半にカスティージャで流行ったデザインのお城です。ティエドラ城の塔の上からすぐ近くに見えます。

バジャドリード派

カスティージャ王エンリケ4世(在位1454-1475)がメディナ・デル・カンポやポルティージョの城の改築を行うと、それに倣って、多くの貴族が自分の領地に城を建設、あるいは既存の城を改築しました。このころにバジャドリードを中心に建設された城は皆、ほぼ正方形の城壁に守られ、その一角に正方形の主塔が建つという、ビジャロンソの城によく似たデザイン。これらの城はバジャドリード派と呼ばれます。ただし、戦いにはすでに大砲が使われており、華奢な塔は大砲を前に防衛施設の役にはあまり立たなくなっていました(参照:フエンテス・デ・バルデペロ)。城はむしろ所領の人々に対して権力を誇示するためのものとなっていきます。

騎士団

ビジャロンソは中世を通じて、様々な手に委ねられました。15世紀初頭、アルカンタラ騎士団*の手にあったビジャロンソを、アロンソ・ペレス・デ・ビベロが購入。1470年に彼がフアン・デ・ウジョアに、他の領地と交換する形で譲渡しました。フアンは、周囲の領地とともにマヨラスゴ(長子が一括して相続する財産)を創設し、現存する城を建設。この場所にはおそらくアルカンタラ騎士団の要塞があったものと推測されます。

カスティージャ王位継承戦争 ― 未亡人マリア・サルミエント

1474年、エンリケ4世が死去すると、カスティージャ王位をめぐって王の異母妹イサベル1世と庶子フアナ(ラ・ベルトラネハ)の間で内戦が勃発します。フアン・デ・ウジョアはフアナ側を支持。この時、フアンはトーロ(サモラ県)のアルカサルの城塞主でした。この内戦の中、王位の行方を決定づけたのが1476年の「トーロの戦い」です。カスティージャに進軍していたポルトガル王アルフンソ5世軍(寡夫となっていたアルフォンソ5世―43歳―は、14歳のフアナと婚約しカスティージャ王位を狙う)はイサベル1世の夫フェルナンド率いる軍に敗れるも、ポルトガル王太子ジョアン軍はカスティージャ軍を殲滅…。多くの戦死者を出した戦いでしたが、はっきりとした勝者はないまま戦闘は終わりました。しかし、この戦い以降、フアナ派はカスティージャ内での支持を失って行き(これには、トーロの戦い後、フェルナンドが国内外にカスティージャ勝利を知らせる使者を送ったことも影響していると言われる)、翌年のアルカソヴァ条約で内戦は終結、女王イサベル1世の地位が固まりました。

この戦いの初期に、トーロ城塞主だったフアン・デ・ウジョアは戦死してしまいました。未亡人となった妻のマリア・サルミエントはしばらくトーロで抵抗を続けます。結局、彼女はトーロはもちろん、モタ・デ・マルケスなど複数の所領をイサベル王女に譲渡せざるを得なくなりますが、交渉のすえ、なんとかビジャロンソの保有は許されて、トーロの城を明け渡しました。

コムニダーデスの乱

さらにフアンとマリアの子ディエゴ・デ・ウジョアも、16世紀のコムニダーデスの乱(参照:フエンテス・デ・バルデペロ)で蜂起軍に加担(また負け組に加担してしまった…)。反乱終結後にはあわや死刑!になるところでしたが、1万ドゥカドを払って死刑を回避し、ビジャロンソも含め財産もすべて取り戻しました。

わずかだが外壁が遺る
ビジャロンソ城 Castillo de Villalonso

城を囲んでいた堀はほぼ埋まり、大砲の使用が考慮された大きな鋸壁を有する外側の城壁は(おそらく、前述のカスティージャ王位継承戦争の際に建設された)ほんの一部が遺っているだけですが、主塔をはじめ、城の本体はよく保存されています。ほぼ正方形の城壁の4隅に円塔、東側の城壁の中央に堂々たる主塔が建っています。城への入り口は主塔の左側。入口の上にある二つの紋章は、ウジョア家(右)とサルミエント家のものです。主塔への入り口は中庭に面した2階に開いています。

1970年代には、ショーン・コネリーとオードリ・ヘップバーン主演『ロビンとマリアン』など、たびたび映画の撮影に使われていました。

現在、この城は個人が所有しています。1980年代にオスナ公爵家から城を買った現在の所有者が修復し、一般に公開中(ただし、夏季日曜日午前中のみ 2021年現在)。

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