カスティージャ・イ・レオン州ブルゴス県
ブルゴスから車で40分ほど北上すると、マサ平原(Paramo de Masa)の西端、ポサ・デ・ラ・サル村の後ろにそびえる岩山の中腹に塔と城壁、そのはるか上の山頂に円塔を擁する城塞が見えてきます。これは楽しみなロケーション。山間の狭い土地を利用した山城にはいろいろな工夫があって、平地にある洗練されたお城とはまた違った楽しみがあるのです。

山頂にある城塞は、「石になった波の上に浮かぶ船」(ディオニシオ・リドルエホ”Castillos de Burgos“より)のよう。山頂には村の裏手から簡単に車で登れるのでご心配なく。車から降りたら二つの小さな塔からなる門を通り、かつては城壁で囲まれていた「武器の広場」であったであろう場所を通り、岩を削って作った急な階段(こういうのが超楽しい)を登り、尖塔アーチの入り口をくぐって城内へ。お城は岩山をくりぬいて土台を固めた上に石を積んで建設されており、むき出しの岩肌と石積みが組み合わされた壁に、その様子があらわれています。平らな土地など全くない場所に建てられている割に、内部は広く感じられます。かすかに尖塔がかったヴォールトをいただく廊下(それとも広間?)は、長さ16m×幅4m。廊下の奥の階段を登って屋上に出ると、南東に広がる平原をはるか遠くまで見渡せます。



お城の発掘調査で、ポサ・デ・ラ・サルには先史時代から集落があったことが確認されました。特にローマ時代には塩の生産が盛んになり、豊かさを享受していたことが想像できます。
ロハス家の城 Castillo de los Rojas
8世紀のイスラム勢力の侵入後、「ポサ」の名が文献に現れるのは9世紀。明らかに「Pozo de la sal(塩井戸)」が語源となった名前です。10世紀には再植民が行われており、このころにはすでに何らかの要塞があった可能性もあります。13世紀、王領だったポサはカスティージャ王フェルナンド4世(在位:1295-1312)がフアン・ロドリゲス・デ・ロハスに与え、以後、ロハス家の所領となりました。現在の城塞は14世紀初頭に彼らによって建設されたものと推測されています。さらに14世紀末に、婚姻によりポサはディエゴ・フェルナンデス・デ・コルドバ(1355-1435/カスティージャ王フアン1世、エンリケ3世、フアン2世の側近)の所領となると、彼も城を改築し、ほぼ現在の姿となりました。
城塞からふもとの村を囲むように建設された城壁も一部が遺っています。村とともに大切な塩田も守っていました。また、山の中腹に見える塔は、ロハス家の宮殿のもの。16世紀の建設です。この宮殿の建設とともに、山頂の城塞は次第に放置されていきました。16世紀、コニャック同盟戦争*後の交渉に訪れたベネツィア大使アンドレア・ナバジェロは、1528年、カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)の命によりポサの城に幽閉され、その様子を「この地の領主は山の中腹に立派な館があるが、山頂にも屈強な城も持っており、そこに登るのは至難の業…」と語っています。
19世紀初頭、スペインに侵入したナポレオンの軍隊は、ポサの城を修復して駐屯していたとのこと。
ちなみに、古くから塩の生産で栄えてきたポサ。レコンキスタ以降、多くの塩田が修道院により経営されていましたが、12世紀からはカスティージャ王家も塩田経営に乗り出しました。16世紀になるとフェリペ2世が塩をスペイン王家の専売とし、それは19世紀まで続いたとのこと。岩塩鉱に掘った溝に水を通して塩を含ませ、その塩水を塩田に流しいれて天日で干し、塩を生産していました。


おすすめルート
ポサは、ブルゴスから45km、車で40分ほど。そこから→15km→カスティージャ伯一族が眠るオニャ (Oña) の修道院→25km→フリアス (Frías)(お城と橋)→85km→ブルゴスで、1日コース。

おまけ
塩田と言えば、アニャーナ(Añana – バスク州アラバ県)。古代から続く歴史ある塩田です。バスクの名店御用達。塩の生産は夏場だけなので、ぜひ夏に!
フリアスから車で40分ほど。ちなみに、ビトリアから45分、ブルゴスから70分ほど。
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