銀の道(Via de la Plata)を北上すると、ビジャヌエバ・デ・ハムースで最初に見えてくるのが、このお城。
Castillo de Quiñones キニョネス家の城
15世紀初め、ディエゴ・フェルナンデス・デ・キニョネスとマリア・デ・トレド夫妻により建設されたお城です。キニョネス家は、レオンのキニョネス・デル・リオにルーツを持つ貴族。ディエゴ・フェルナンデスは、フアン2世の治世で富を築き、「El de la Buena Fortuna」とも呼ばれました。ディエゴは、妻マリアの死後、ビジャヌエバは次男スエロ・キニョネスが相続するよう遺言しますが、スエロも、マリアの死後たった1年で、決闘で受けた傷がもとで死んでしまいます(1458年)。それでも、スエロの足跡は城にもちゃんと遺っており、入口の上にある騎士の紋章はスエロのもの。”Honor o Fin”「名誉か死か」との銘も刻まれています。
入口のある円塔。右に奥の主塔も見える。入口の上に騎士の紋章
本物の騎士のお城
ところで、騎士だったスエロは、「オルビゴ橋でなし遂げた馬上槍試合の偉業」[セルバンテス『ドン・キホーテ』牛島信明訳、前編〈三〉P315より] で有名な人物です。彼は1434年7月に1か月間、カスティージャ王フアン2世の許可を得て、サンティアゴ巡礼路にあるオスピタル・デ・オルビゴ(Hospital de Órbigo)でオルビゴ川にかかる橋に陣取り、思いを寄せる貴婦人の名誉にかけて、橋を通ろうとする騎士に馬上槍試合を挑んでいました。1997年から、この同じ場所で、毎年6月第一週末に中世の槍試合が再現されています。
スエロの死後、城は息子ディエゴが継ぎますが、彼のいとこでラグーナ・デ・ネグリージョ(Laguna de Negrillo)の城を持つルナ伯爵がビジャヌエバ奪取をもくろみ、近くのサンタ・エレナ村に城の建設をはじめました。そればかりか、アリハ(Alija del Infantado)のペドロ・ピメンテルもこの城を狙っていたとか。ディエゴはカトリック両王に窮状を訴え、その庇護を仰ぎました。
現存する城はサルミエント城と呼ばれます。15世紀半ば、フエンテス・デ・バルデペロの領主だったディエゴ・ペレス・サルミエントに、カスティージャ王フアン2世がサンタ・マリア伯爵の称号を与えました。サルミエント城の築城はこのころ。1465年ごろまでに建設されました。当時のお城は、現在のものよりもずっと華奢な主塔と、城壁に囲まれた「武器の中庭(Patio de armas)」がある、バジャドリードを中心にカスティージャによくある形のお城でした。(バジャドリード派のお城:トーレロバトン、フエンサルダーニャ、ペニャフィエル、ポルティージョ、ビジャロンソ etc.)
パティオには、主塔の向かい側の城壁に沿ってサルミエント家の宮殿部分があり、2階建ての回廊もありましたが、廃墟となっていた19世紀末に崩落。現在は歴史資料館が造られています。回廊を飾っていた欄干や円柱は、村の教会(Iglesia parroquial Nuestra Señora de la Antigua)の聖歌隊席などに利用されています。
ブルゴスから車で40分ほど北上すると、マサ平原(Paramo de Masa)の西端、ポサ・デ・ラ・サル村の後ろにそびえる岩山の中腹に塔と城壁、そのはるか上の山頂に円塔を擁する城塞が見えてきます。これは楽しみなロケーション。山間の狭い土地を利用した山城にはいろいろな工夫があって、平地にある洗練されたお城とはまた違った楽しみがあるのです。
入り口は山の裏側
山頂にある城塞は、「石になった波の上に浮かぶ船」(ディオニシオ・リドルエホ”Castillos de Burgos“より)のよう。山頂には村の裏手から簡単に車で登れるのでご心配なく。車から降りたら二つの小さな塔からなる門を通り、かつては城壁で囲まれていた「武器の広場」であったであろう場所を通り、岩を削って作った急な階段(こういうのが超楽しい)を登り、尖塔アーチの入り口をくぐって城内へ。お城は岩山をくりぬいて土台を固めた上に石を積んで建設されており、むき出しの岩肌と石積みが組み合わされた壁に、その様子があらわれています。平らな土地など全くない場所に建てられている割に、内部は広く感じられます。かすかに尖塔がかったヴォールトをいただく廊下(それとも広間?)は、長さ16m×幅4m。廊下の奥の階段を登って屋上に出ると、南東に広がる平原をはるか遠くまで見渡せます。
8世紀のイスラム勢力の侵入後、「ポサ」の名が文献に現れるのは9世紀。明らかに「Pozo de la sal(塩井戸)」が語源となった名前です。10世紀には再植民が行われており、このころにはすでに何らかの要塞があった可能性もあります。13世紀、王領だったポサはカスティージャ王フェルナンド4世(在位:1295-1312)がフアン・ロドリゲス・デ・ロハスに与え、以後、ロハス家の所領となりました。現在の城塞は14世紀初頭に彼らによって建設されたものと推測されています。さらに14世紀末に、婚姻によりポサはディエゴ・フェルナンデス・デ・コルドバ(1355-1435/カスティージャ王フアン1世、エンリケ3世、フアン2世の側近)の所領となると、彼も城を改築し、ほぼ現在の姿となりました。
1483年、ペドロ・アルバレス・オソリオが近くのコルナテル城(Castillo de Cornatel)で死去すると、ロドリゴ・オソリオが城を占拠。叔母フアナ(ペドロとマリア・バサンの娘)との間に、ポンフェラーダ城をめぐる闘いが始まります。さらに、前述のディエゴ・マンリケも城の所有権を主張。ここに、カトリック両王が介入し、フアナ・オソリオの所有権を認める裁決を下します。しかし、ロドリゴがこれをつっぱねたため、1486年、カトリック両王はロドリゴの財産を没収するとともに、軍を招集。フアナから城の所有権を買い取り、ポンフェラーダを包囲し、大砲も使った大掛かりな攻撃に打って出ました。ロドリゴは降伏。ポンフェラーダはカトリック両王の所領に。カトリック両王もまた、城の修復と改築に取り掛かります。
ポンフェラーダまで来たら、ラス・メドゥラスは絶対におすすめ。ラス・メドゥラスへ行く途中に、コルナテル城(Castillo de Cornatel―Villavieja村)があります(山頂に建つ城の雄々しいシルエットに心ひかれたものの、日没により見学することはできませんでした😢。見学は木曜日から日曜日*)。
車で50分ほどの少々ハードな行程ですが、サンティアゴ・デ・ペニャルバ(Santiago de Peñalba)に美しいモサラベの教会があります。(見学は週末のみ…夏休み中も例外はなく、月曜日にポンフェラーダに着いた私は涙をのみました*😢)。ペニャルバが無理でもポンフェラーダの郊外にサント・トマス・デ・ラス・オジャス(Santo Tomás de las Ollas)のモサラベ教会があります。馬蹄形アーチが連なるアプスが美しい。こちらは、教会のある広場に住むおばちゃんがカギを開けて、ガイドもしてくれます*(おしゃべりが止まりません)。